長女が都立高校受験に不合格となり、昨日は一日泣いていたので、声をかけることもできず、こちらもあれこれ考え寡黙に過ごした。子供には管理的な強要をしないと決めているので、すべて自身で決めるよう申し渡していたが、そもそも、子供にはそういった自由が構築されているはずがないので、これは、ある種、冷酷な宣告だったかもしれない。挫折と虚脱で、瞳の力を失っている長女に、夕方になって、既に合格している私立高校へ4月から通ってみて、自分のカラダで、環境を確かめて、何か不十分なものを感じたら、来年また希望する高校を受験しなさいと、声をかけた。
こうした躓きを、この国では、失敗、駄目などという、否定的な、できるものならば、なかったことにしたい、隠しておきたいといった考え方で、負の経験と記憶させる風土がまだ残っている。躓きばかりの人生を送っているワタシ個人としては、笑って済ませばよいが、無垢な子供には、こうした躓きが、認識と現実感、強靭な人間性の獲得に必要な、試練というより、日常であることは、なかなか理解できない。タルコフスキーの「ストーカー」のような案内人を自称したいワタシは、長女にたいして、こちらの誇るべき躓きのあれこれも話した。
癌の再発予防措置の化学療法で苦しんでいる祖母と祖父から手紙があり、内容は娘たちの誕生日のお祝いだったが、お礼の電話口で、長女は、憑き物が落ちた顔をして、4月になってから決めるから。と明るい返事をしていた。お前はまだ14歳だったな、とあまりの若さに自分の両手の指を数えた。
スマートな成功に表象化される顕われには、兎角こうした躓きがずっしりと詰まっている。