雪に濡れた、(濡れたというのが正しいと感じたのだった)、薄く白いものを冠った、神楽坂をキャメラで、捉えようと、ー珍しいので、雪などー、東西線入り口まで歩いたが、シャッターを押すことはなかった。
雪のあれこれを知る者のひとりとして、この程度の濡れた程度の街並など、何も感じない。が、むしろ、こうした変化が齎す、狼狽えの表情を探すようなつもりもあったのだが、足下を滑らせる女性の踵も、スリップする車のタイヤも、ディズニーランドの劇の中の出来事のような、大袈裟な不自然さがあり、この濡れた雪のエピソードが街並の屋根の下に広げる様々な発音も、アニメの声優の声で増長し聴こえてくるようで、このような中途半端な日は、切り棄てよう。とキャメラを懐にしまった。
おかしなもので、そうした切り棄てた感情の名残をこうして、記録するアタシの精神の狡猾は、だが、最近私の存在の意味を、ありのままに思惟する手法とも思われてきている。