長女の受験対策として、次女と共にインフルエンザの予防接種に横寺町にあるかかりつけの内野医院に連れて行く。
インフルエンザ情報サービス
インフルエンザQ&A(日本医師会)
インフルエンザHAワクチン“化血研”275Aを、長女は0.5mlで終了。次女は0.3mlで、3週間後にもう一度必要とのこと。医院には、同じ理由で長女の同級生が二人来てきた。受験生は皆接種するらしい。
NHK_BSで深夜から朝にかけて放映される世界各局のニュースがこのところ実に面白い。キャスターは勿論、背後のスタジオの様子で、国毎のテクノロジーなども感じ取れる。同時に3台以上のモニターで眺めたくなる。


「人は、自分たちが「僕の村は戦場だった」を疑いの目で見ていたその時に、「火刑台の男」1962を称賛しました。もっとも、この映画は非常に立派なものであり、この映画の作者たちに賛辞が送られたのは、彼等が肯定的主人公の中に複雑さを取り戻したという理由からでした。たしかにそうなのです。作者たちは主人公に欠点を与えています。ー例えば誇張癖などです。しかし、私自身としては、そこに本当に新しいものを見いだすことができません。彼等は、この登場人物が自分の擁護する立場に対しておこなう献身と、彼の正真正銘の自己中心主義とを同時に示しています。結局のところ、社会主義リアリズムの最良の作品は、複雑で、ニュアンスに富んだ主人公たちを、いかなる場合であっても、つねに我々に呈示してきたのであり、主人公たちの弱さのいくつかを強調するように配慮しつつ、彼等の長所を讃えてきたのでした。実のところ、問題なのは、主人公(ヒーロー)の徳と悪徳をうまく調合することではなく、ヒロイズムそのものを検討することなのです。それを拒否するためにではなく、理解するために。[anout Iwan’s Childhood]Jean-Paul Sartre / 1963 / The world and Film of Andrei Tarkovsky / キネマ旬報社」
28歳のタルコフスキー監督デビュー作「僕の村は戦場だった」に対する全的擁護の態度を、イタリア批評界に対して鮮明にする。サルトルは、ウニタ紙の書簡の中で明言。1963年10月9日付同紙掲載。