ある種の不安によって委縮した一日を反省してふっ切ろうと、何も考えずに選んだHector Babenco監督の、CARANDIRU(2003)を、驚きながら楽しむ。DVD注文。蜘蛛女のキス(1985)から3作目(2作目は観ていない)というローペース(約20年間で2本)でとんでもない構想を展開したものだ。様々に掲載されている作品紹介にある「衝撃的な悲劇のバイオレンス」などではない。ブラジルは凄い。実際の事件であるそうだが、時空間をぐいっと抱えて構築してあるので、これが世界なのだと観る歓びを感じる。刑務所といういわば群衆を描きながら、固有性を尊重する描写は簡単に真似できないが、これから追随踏襲すべき手法だ。人間の本来的なユーモアと悲劇と歓びと哀しみが紙一重に連なる映像のダイナミズムに脱帽。俳優らも皆知性に溢れている。映像の21世紀初頭の新しい倫理。だが、ラストに近い軍警の殺戮部分に、殺戮する側の固有な人間性の描写が足りない。しかし、そこに力を入れると、おそらくその部分だけで別の作品が出来上がる。まあその不満を残しても頭は下がる。所謂大人の仕事。
スピルバーグのAMISTAD(1997)鑑賞後だったせいか、相対的且つ明快に作品のクオリティーとその倫理性の差異を判別できる。
Sometimes They Come Back for More (1998)は最低。ひとつのつまらんギミックと下手な役者の猿芝居。哀しい。
これからClockers(1995) / Spik Lee , David CronenbergのCamera(2000)がなかったので、eXistenZ(1999) 。
eXistenZ(1999)は駄作。コメントなし。
Clockers(1995) / Spik Lee :やはりSpike Leeはよい。人間の仕草の嘘くささを徹底して剥がしていくのだろうな。脚本の対話部分が優れている。色彩も実に鮮やかでそれがクール。照明もかなり工夫している。観客は事件の真相を追う格好で、実は全く別のリアリティーを眺めていく。だから嫌らしいギミックにならない。真相はどうでもいいということだ。キャメラの固定の細かい切り替え、レール移動、ハンディーのズームの揺らぎなど多彩であるが、すべてシーンと仕草に関係している。監督自身別に画面に出てこなくていいけど。多くの俳優を産み出す監督というその理由に納得。