まだ暑い日が続いているが、脈絡なく唐突に涼しい雨の日や、回転する台風が、夏の重たい雲を払うのだろうか、季節の変化を感じる空を見上げていた。オリンピックの選手の活躍を遠く感心しながら、その度に、84年に訪れていたアテネの幾つか憶い出した。体育館のような大衆酒場でタクシードライバーとウッツォを呑みあげ、ヨーロッパ滞在初日に、既にへべれけになって、エレベーターに閉じ込められた。美術館やギャラリーなど歩き回った白い街全体を丘の上から見下ろしてアイスクリームをなめ、キャバブー(tsurutaによればケバブ)も、最初にアテネで口にしたか。否あれは串焼きだったか。記憶は日々曖昧になる。現在の自身に都合良く捏造されることもある。鮮明に残っているのは、答えの見つからない問いのようなぽっかりとした疑問の数々で、これは色あせもせず、誤魔化しようがないので、そっくりそのまま残るものだ。例えばそれが、パルテノン神殿の巨大さであったりする。大陸を考えたというより、大陸というリアリティーを体感したのだろう。ぽかんと口を開けたままあきれたものだった。