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Photographs by Andrew Davidhazy

高速度カメラは、100万コマ/秒の超高速度撮影が可能なものまでがあるらしい。このカメラが、1/100万秒という時を創出したといっていい。
二千年以上前に作られたレンズは、見る為ではなく太陽光をあつめて火を起こす為だったが、中世より500年の時間をかけて、コンピューターで設計する精密なレンズは、静止画という時間の無限点である光痕をひたすら求めて「停止した時」という矛盾を見える形にしようとしている。1960年にこの国で最初に試作されたコンピューターも、はじめはレンズ設計に使われた。レンズが光学をもたらし、光とは一体何かを巡ってアインシュタインが光量子(光粒子)を提唱し、現在は、1兆分の1秒以下しか光らないパルスを用いるレーザーメスにより0.1ミリ単位の腫瘍削除が可能となった。これも光学の深化のひとつ。
オプティカルなライトインフォメーションである、ドーモのステンドグラスや、金色に光るテキスト、闇の中で反射するイコンから、現在の多様なダイオード(LED)まで、人間的な光の様相は都度感応的であり、行灯や蝋燭から、変異を遂げた光の意匠により暗闇を照らされている世界社会は、地球の裏側の闇を抱えるようであった陰陽の二面性を喪失しつつあり、井戸の底から天を仰ぐ時には死を抱き寄せた「あの時」を、懐かしく憶いだすことなど、むしろ異常な精神と看做すような風潮がある。だからといって現代は光に溢れたパラダイスというわけでもないが。

安藤幸司氏の「光と光の記録-光編」という判りやすい平明な記述をみつけて何度も頷きながら辿っていた。
年度末の喧噪の東京駅から、次女と昼過ぎの新幹線に乗り、季節の美味しい駅弁(30品目バランス弁当、小春弁当)を食べた後、長野まで春の陽射しに任せて眠った。実家の近所にあるユニクロまでふたりでシャッターを押しながら歩き次女のトレーナーを買い、DVD(EAGLE EYE, MOSCOW ZERO)をレンタルし、娘はDSのソフト(リズム天国ゴールド、アナザーコード)を購入。東京駅で旅のお供と購入した「乱反射」貫井徳郎著を湯槽で辿り稚拙な文体に失望する。


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寒いが時折晴れる気まぐれな午後に、父親の診察に長野中央病院迄二親を送り、須坂の臥竜公園まで車を走らせ、動物園を歩いた。あれこれ思うのはやめにして、動物を眺め、なんとなくシャッターを押していた。こうした恍けた日もあっていい。

長女の誕生日プレゼントに、去年はラップトップと奮発しすぎたので、今年は控えめに、シャーボX TS10(グラファイトブラックSB21-B-GBK)を東急で選びギフトパッケージにしてもらうが、勘違いをして同じ色の替ボールペン芯を3本買ってしまい、自分で探してくれと長女にメルする。3色+シャープペンというのはなかなか良い。自分も欲しいなと2色+のCB8(カーボンフラッシュシルバーSB23-CFS)を注文(店頭にはなかった)。太めのシャープペン軸と細めの色ボールペンというのはよさげ。今年度はシステム手帳を使おうかしら。数種類のペンが格納できるものがあればよいのだが。

放り投げた本を、金を出して買ったのだからと、もう一度引っ張り寄せ、堪えて読むと数ページで腹が立ち、再び閉じて蹴飛ばした。