短い休息を得ながらソファーで野川を読むことがひどく落ち着くのだった。克明で固有な眺めを記述するという古井由吉の態度は正しいと感じたのははじめてだった。正確には勿論記述ではなく創作であるけれども、偽りや装飾の微塵もないと思わせてくれる、あっさりとしているにもかかわらず鋼のように強靭で同時にしなやかな描写の、しかし複雑な意味を手繰り寄せてしまうような配置には、幾度か辿りなおす度に、新しい人間の眺めが広がる。アッジェの足取りが重なって、眼差しの倫理というものをやはり考える。ページをめくりながら、何度も写真家の作品が思い出され、私にとっては、そうした想起が思いがけない認識の広がりを与えたのだった。
対象世界に対する感想をいくら並べても、その感想自体がどうにも月並みな享受だから、感想など棄てて、対象世界の前に立っていることの健やかさ、難しさや危うさを丁寧にあらわすだけでよいということになる。
夏の空を見上げて、眺めている目の状態を示さなくてはつまらない。それは、おそらくその空の美しさとは無縁な、全く別のコトに触れる。
新幹線で夜おそく自宅に戻り、朝までかかった仕事を終えて、この盛夏の綿密な計画の作成をはじめる。