寄居から秩父鉄道に乗り換えて長瀞で降りた時は、連休だから相応の人込みも予想していたので、驚かなかったが、脇道を歩き、ふと山襞に囲まれるような場では、イメージを探した。行列をつくる長瀞ライン下りの荒川は水量が少なく、6kmを竿で船を押しだす船頭の、台風のあとにもう一度来てねと叫ぶ声の掠れがこれは本来の姿じゃないという嘆きに聞こえた。遊泳禁止というこの川には何もない。ジャン・ジャック・べネックスのIP5を憶い出して、湖を目指す気持ちが膨れもした。列車に再び乗り秩父で降りて西武秩父ターミナルのゴミにマミレた賑わいを見て、池袋がそのまま延長されているような、煩雑で小さな生活が錯綜しごった返している様子には、むしろこの界隈の日常の閑散とした光景の切羽詰まった空虚を感じるのだった。渋滞で進まないバスに乗り、小鹿野町手前の松井田で下車して、そこから1時間ほど歩いた釜ノ沢にある民宿に入る。すぐ隣は、山梨、長野、群馬などの県境となる。翌日は、宿の主人に教えられた登山道を般若山まで垂直に登り、札所32番法性寺までの峰を、カラダを戒めるように汗を吹き出して約2時間歩く。流石に人影など無い山頂の巨大岩に立つと、小鹿野町の何か安定した村が見渡せたが、喉元につかえている自身の[water desk]が、もうひとつ顕われてこない。ぶらさげたキャメラも、なかなか構えることが少なかった。ただ、釜ノ沢に辿り着いた夕暮れに見事だと見上げた満開の野生の藤を撮影してから振り返った際、タンポポの乱れ咲く野原に注がれる落日の光を眩しさの失せるまで眺め幾度かシャッターは押していた。water deskは、海でもなく山でもないということを確認したGWだったが、蓄えもした。