久しぶりにNIPAFを観た。会場には現在グループ展開催中のIijima女史も観覧にきていた。若い方の作品は、指導者の影響だろうか、初々しく、真っすぐで、ストイックだが、新鮮だった。Shimoda氏の作品は、割り箸6本だけ使うシンプルな仕立てだが、なるほど成熟した身振りで、注視させる何かが確かにあった。パフォーミングアートは、あれこれ想念を巡らせて憶測するようなものではなく、目玉がひたすらにモノを眺めるという直観に繋がるような導入があり、帰り道など作家たちの仕草が脳裏に蘇って、思いもしなかった別の事象と結合したりすることもある。今夜の作品は、余計をはぎ取られたものばかりで、寡黙で会場が静まり返ることが、頗る心地よかった。93年にお手伝いしたときには、パフォーマンスという表現を疑うという批評の目、つまり擁護の態度のことを逆説的に力んで書いたことがあったが、今回は、何か広い海岸にさまざまに存在する固有な人間の身振りを眺めるといった気持ちが広がったのだった。明日はTakenouchiと会場で待ち合わせしているので、観た後酒でも飲むか。持続とは力ではなく成熟ということだ。東京会場では24,25と続いて開催される。
Shimoda氏に、今回のパフレットを十年ぶりにTakayama君と一緒に編集したと聞いて、93年の眠らない恐ろしい冬を少し思い起した。NIPAFに幸あれ。