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フィアレスを途中まで観てベッドに横になり本を捲るが中身を辿る前に眠ったようだ。古い旅館の屋根裏の小さな小部屋が迷路のように入り組んだ場所に取り残され、「タケシノズ」と呪文を唱えると目の前の中空に、古くさい映像が回転して浮かび、着物を羽織った小さな女の子を連れた女性が手のひらに二十丸のついた札を乗せこちらに差し出して微笑んだ。家人の電話の応対が遠くに聞こえて目覚めてから妙な夢だと暫く考え込んでいた。
高性能の受像機(1Ds MarkIII)に慣れる為、二日ほどかかりきりなって、数値を並べ、挙げ句あれこれ余計を加えたせいか、ファインダに埃が入り、幼い頃同じように買ったばかりのプラモデルの制作順を無視し完成を台無しにしたことを憶いだした。
印象などというものより、動いた身体と、それに伴った状況がリアルであれば、精神とか魂などとりあえずどうでもいい、そこまで冷ややかになる行為の反復だけを目的に外に出ると、酷い日差しで、気温も上昇し、山々の樹々の色も燃え落ちるようなどんよりとした緑色になってしまっている。
松代まで車を走らせ、文武館にてMCAF vol.7の作品を撮影。昼過ぎには戻る。こちらの撮影は、朝と夕方に限るしかないか。と、昼下がりから本を捲る。


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朝早くThousand / Philip-Lorca Dicorciaが届き、ベッドで寝転んで捲りながら惹き込まれ、撮影者の回顧展が行われている美術館を歩いている錯覚を享受。実に繊細で豊かな写真集。だが考えるとこれまでのコンセプチュアルな制作態度の恣意を消す新たな取り組みともとれる。これもひとつの恣意ではあるが、印刷ページの薄さ(透過して次のページがうっすらと見える)、儚さという仕立てが、ページを捲る時間をゆっくりと静謐に導く効果がある。

ー作品の配列順序はなんとコンピューターを使用し、でたらめに行わせています。結果的に1,000のイメージは彼の過去を回顧したり、まとめるものではなく、偶然の行為が積み重なって記憶が形成されることを示しているのです。人生のある瞬間が過去を思い起こさせるように、本書の一つのイメージは見る人の経験によって他の作品とのつながりを感じさせてくれます。1枚のポラロイドは記憶と同じように他との関係性により再解釈されることがわかります。ーArt Photo Siteより抜粋