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文京区シビックホールは威圧的で、且つ高度恐怖を感じる者としては、9Fという高さの窓から垂直に真下を眺めると腰が引けるのを除けば、ユーボートオフィスの新居(制作別室)は、数ヶ月首を傾げたまま移転先を経巡った曲折の結果幸運が舞い降りたと云っていい。南側の窓から後楽園のジェットコースターが見え、気の知れない人間を乗せたコースターの動きに、まさか乗ってみようかなどとオソロシイ感情移入せずに、卓上のスペースワープだと考えればよい。
グーグルマップで確認した時は、白山通りに面した北沿いだと勘違いしており、待ち合わせのエクセルシオール・カフェで、あそこの9Fだよと目の前を指で示されてきょとんとした。
25日の引越しを前にして、買い出し指令に従って白山通りのオリンピックにて室内灯x2購入のパシリをyazaki氏と二人で出かけた道すがら、会社立ち上げは白山だったと聞く。天井に取り付けてから、面々と連れ立って見事な樹々が覆い繁る小石川後楽園の涵徳亭まで歩き抹茶白玉ぜんざいを食す。水戸光圀が完成させた庭園。都内はこうした見事な樹々が大切に守られており、最近の長野の脱ダムならぬ脱樹木都市計画と比較すると、よっぽど人の住む環境に緑が強く位置づけられている。新オフィスのベランダから見えるシビックホールの屋上の草が印象に残る。小石川後楽園は大江戸線飯田橋駅からすぐ。これまで歩いていなかったと反省しきり。
yazaki氏に聞くと、北へ歩いてすぐある東京大学理学部附属植物園(小石川植物園)がよろしいとのこと。新規開拓する歩き回るエリアが新鮮。地図を見れば秋葉原、上野へも近い。

月島で皆と別れ、勝どきで地下鉄を降りてから買い物を思い出しトリトンまで歩いたが、ラオックスが撤退していたことに気づいてそのままララポートまで歩く。昼前にオフィスを出る時には小雨が降っていたのでカメラを持っていなかったが、この手ぶらな身軽さが、歩行自体をゆったりとさせた。文具やオフィスでの補充品を購入し、いっそ有明まで歩いて船で晴海で降りようかなどと考えたが挫折。そういえば真向かいにいつも見える浜離宮恩賜庭園にも足を運んでいない。身体精神の恢復に庭園巡りもいいかもしれない。


昨年の暮れに読んだ筈の「白暗淵」最後の短編「鳥の声」に躓く。これはおそらく気分的にまだ読了してこの作品を仕舞いたくないのだとわかり、広げたまま伏せて目につく所に置く。
躓きながら書棚に「山躁賦」を探して捲り始めていた。

時節に応じた、あるいは内容の刷新更新されたものの再構築の業務がこのところ重なり、最初のフォーマットをそのまま踏襲する安易な仕事が我慢できず、システムを複雑にせずに検証点検して隙を見つけ、多少は「今風」というグローバリズムを見出しながら与える地味な仕事は、様々なハードウェアの効率向上に依存するものの、グラフィックボードによる「日本語」の端末表記美麗化に忘れられている「縦書き」が、横書きに徹底されてもう20年近くになるのだと、大袈裟で高価だったワードプロセッサーの原稿用紙フォーマットに拙い指先で言葉を打ち込んでいたことを憶い出させた。
仕事のスケジュールと課題などの、端的事務的な文章を淡々と打ち込むだけのものだったが、ワープロからプリントアウトされる言葉の現れ方が、銅版画のプレス機のフェルトを捲って現れた版画紙に印刷された転写画面と同じような気持ちで眺めたものだ。
筆を垂直に握り墨に浸して幼い顎を食いしばるように肘を固めて書に没頭し、また鉛筆や木炭でデッサンしていた時間もこちらにはあり、その時々はそれぞれ盲目的に熱中したが、遺された和紙や木炭紙は作品であるにも関わらず、そのまま放るような気持ちが強かった。つまり、後始末など考えない行為を抱き寄せるだけの餓鬼に過ぎなかった。
店先で最近インターフェイスの深化したペンタブレットを手にしてみると、ペン先に加わる強弱によって確かに情報供給が変化するのだが、肝心なものがぽっかり抜けている感覚があった。
直に手描きする父親の書を眺める機会もあり、紙に残る墨の香りと、柔らかい和紙の感触が満ちる度に、指先が欲する動きの幸せというものは、いつまでも変換されない魂のようなものだと感じるのだが、私はというと、両手の指を総て欠落した喪失感に途方に暮れているばかりだ。
だがまあ、欲望の指先を失っているからこそ、ファインダーを除く目玉がやけに静まって、懐に刃を握る冷ややかな半眼となり、デバイスの機能にも引きずられたこともある剥き出しの好奇心も失せ、腕の先の骨で都度痛みの走るシャッターを押すようにもなった。

試論「路眼」構築開始