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君は石の上に立っている。
やや左足に身体を任せているのは、利き足が右だからだ。
踵に力が澄みきって、姿勢の躊躇いもなければ狼狽えもない。君はまだ弱く若い。
濡れた石の上に長い間立ち、足跡はうっすら凹んでいるから、
君がそこに存在したことの証となって、その窪みにこうして雨の後、水滴を集め、
垂直に上昇する身体を持った。

新緑の色彩の気配は背後にある。
いつになく広々とした空間が、君の足元から向こうへ広がっている。
小さな水面には雄々しい雲も一部がゆっくり移動して映っている。
今にも風が吹きよせて、雨上がりを拭い去り、一挙に日差しも降り注ぎ、石の表面は蒸発し、君の足跡は淡く石の中へ戻っていく。
季節が巡り、私は別の場所で、石の上に立っている君をみつける。私はつま先の指をみつめるだろう。
そして決して遠くない惜別の時、私は幼い頃の、あるいは平凡な日々などの記憶と共に、石の上に立つ君の獣の精神を、眩しく憶い出すことで停止したい。


地下鉄でロベルト・ムージル / 古井由吉を再び捲っていると、1986年に多摩川のクジラの背や、秋川渓谷の清流の中で、何度もハンディカムを手に撮影をしていた時がふいに憶いだされた。山下という男が、唐突に行った、流れの中にある石を手に取り、頭に乗せ落とさないようにバランスを保ちながら、清流の足下のおぼつかない流れを歩く姿をカメラで追っていた。最初は北アルプス白馬の、巨石が転がる流れの中だった。

古井の言及が、分析的でありながら、挙げ句それを拒否するような、精神の運動を辿った時に、光景として引き出された。大袈裟で収拾不能な風呂敷は棄てて、こざっぱりとした追求へ明快に急ぎたい気持ちもあった。
これでどうやらすっきりしたようだ。