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あまりの寒さに早朝5時前に目覚めて風呂に入る。外気温は氷点下3度。快晴なので、朝食の前に撮影しながら散歩し、コンビニで電気・電話料金支払い。次女の誕生日だが、次の日曜日に自転車を見に行こうとメルする。


早朝次女に誕生日おめでとうとメールをし、小布施町役場での、企画展関連の収支報告等の会議を終えて戻る車の中で、父親の兄(伯父)が長野東病院に運ばれたと連絡があり、寄り道をやめて急いで戻る。呼吸器をつけ自宅療養している伯母は自宅に待機させ、伯父夫妻の後見人である両親が病院に駆けつけて小1時間過ぎた頃、母親から臨終の知らせがあった。
大正4年(1915)2月17日生まれの伯父はナショナリストの祖父(軍に私財を徹底投入し戦後没落)の長男として、羽振りの良い幼少時は人力で登校したと聞いたことがある。本来ならば家を継ぐ立場であったけれども、戦争で子のできない身体となり妹の婿に家を継がせて独立し、私も子どもの頃から可愛がってもらった記憶がいくつもある。数年前より惚けて痴呆症がひどくなり医療老人施設で介護されるようになった。妻である7つ年下の伯母は、小さな煩いに構いながらもまだ達者だが、こちらの両親が伯父夫妻の後見人として昨年書類申請したところだった。父親は伯父とは、兄というよりも親に近いというと大袈裟だが、年齢差(15)があり、様々な局面で擁護されてきたに違いない。こちらから見て最も親しい兄であったようだ。私は青年の頃好奇心から幾度か戦争中の事を細かく尋ねたが、ある部分迄話してからこれ以上は話したくないと断られている。壮年の頃は、明晰な頭脳で世の中を鋭く睨んだ逸話が幾つもある。父親は「兄貴は旨いものには目がない」と、伯父の精神の基本的な骨格が、高度成長の波とともに生きた自身とは幾分異なったものと感じていたようだ。母親の叔父方とは全く異なった風格を持った伯父は、大本営誘致にも一役買った祖父の血に抗いながらもどこかでひっそりと気質のようなものを深く引き継いでいたような気がする。
医療介護施設での突然の死ということで、関係者は個別に別室に呼ばれ詳細を尋ねられ、加えて検死が厳しく行われたとのこと。なるほどこういうケースは訴訟などに発展する恐れもあるのだろう。検死医によると死因が特定できない。食事中にコクンと項垂れてそれきりだったらしい。書類を読むと、直接死因は急性呼吸不全。原因は嚥下障害に伴う食道閉塞。スプーンを運んでいた若い介護の人は、自分のせいだと大いに傷心しているので、数時間かかった検死の後、明日の夕方から通夜の行われる葬祭所へ遺体を運ぶ際に、施設まで来ていただけないかと介護施設から云われたので、車を回し地下駐車場に入ると介護施設の職員一同が並んで頭を下げたと、母親が顛末を細かく話してくれた。
喪主である伯母が自由に動けないので、両親が寺や親族に電話をし、明日の手配に追われていたので、私が夕食を簡単に作る。