l1011286 ある種の抑圧、制限の元での反復は貧相な安定を齎す。その境遇を至福と感じる小さな時間が転がるものだ。だがいつまでも継続させることはできないと気づけば、その途端に悪しき循環、血の巡りの不具合のあれこれに眉をひそめる。
 丁度一年程前の取り組みを制限の中で広げたことで、あの時には思いもしなかったことが降ってきたけれども、半年前に引き受けた愚鈍の継続の、惚けた放下を一ヶ月後にはボリューム造作する必要があり、夏から初秋の未完平面への加筆の準備にまともに現在を注ぐことができないとわかり、切断と組立と研磨へと戻る。
 おもしろいもので、仕草の種類によって集中の型のようなものが異なり、つまり眺められて転がる「念力」の決定も、撫でていく「平面」と、切り裂く「立体」とでは、思念自体の持久力も堪え処も解放のされかたも似ていない。この併置された斥力も生じるだろう顕われを俯瞰する時間を当面は一ヶ月後に置いていくしかないだろう。



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