toyosu012008.jpg新幹線の座席でパトリシア・コーンウェルを捲り始め、(新幹線には確かにあたふたと飛び乗っていた)、軽井沢の浅間山を眺めようと窓に顎を上げた途端、オフィスの鍵はどうした?懐のポケット、キャリングバッグを調べるがどこにもない。ぼうっとして、鍵を入れておいた小さなポシェットを別搬送の荷(宅急便)の中に入れた手元が浮かび、途方に暮れた。
朝からミュージアムの残りの仕事(撮影の残りとシステム調整)に出かけ、急いで戻り、送る機器を4つの箱にまとめてから、仮オフィスを片付けるとまだ午後3時すぎだった。
大宮迄携帯のメールで手配してなんとか打開策を見つけ、ほっとして上野のコインランドリーに荷を置き、週末で賑わう街の路地を、20数年ぶりかと歩いた。暮れかけた街は気温7°。新宿南口と同様の地下街が建設されている。アメ横は相変わらずだが、行き交う人の姿が現代的、今風であり、マルイの前で大勢の人々が待ち合わせする群れのようなものを、歩道橋から眺めては、また歩いていた。

4日間に渡る慣れない肉体労働が、充実したけれども脚に堪えたと、睡眠不足で膨れた瞼を擦り、上野浅草口から中央改札口を眺め、これはもう30年以上前になるのか、受験で上京し、入試に失敗した帰り道にアメ横のモデルガンが並ぶ店に入り、今思えばたいしたことはないのに、崩れを背負った弱気に怯える身には、銃口が塞がれていたけれども、ドイツ製の狙撃銃の手触りと重さが、まっすぐに届いたかしたのだろうか、財布から震える指で札を取り出していたことをふいに憶い出す。一体、どの顔(つら)さげて帰宅するつもりだったのだろか。

黒い淵に落ち込んでいたような記憶の詳細が浮かぶのは、成熟期を迎える二人の作家(クリストフ・シャルル氏、藤井浩一郎氏)に、脆弱な予算立てと季節の悪条件をを呑んでいただいた企画展の、作家の凄み(プライド)を目の当たりにして、人間が営みとして選んだ生き方を胸元に突きつけられ、こちらはむしろそれを望んでいたけれども、さまざまな要因が「顕われ」を明晰にしたのだろう、態度を新たにしなければと戒めが走った数日があったせいかわからない。考えるよりもすべきことをしなくてはいけない。
長女の入試センター試験が無事終わり、24時間寝なさいと伝えてから、自分も充分な睡眠が必要だと喉元で繰り返した。
翌日、無事オフィスの鍵を手にして、曲尾と一緒に三ノ輪の街を歩いた後、風邪の治った次女のお願い(友だちの誕生日プレゼントのショッピング)に、豊洲ララポートにて付き合い、娘を自宅へ帰してから仕事があるのでオフィスに戻ったが、肉体的な破綻があちこちにみつかったので、今夜はとにかく眠ることにする。