最低限に研くよう戒めていたのは、さまざまな意味で「研磨」という磁力にモノもこちらも囚われないためだったが、この戒めを再検討してみると、磨き自体を括弧で括るような仕方もあって然るべきだと。
接続行為を固有恣意の徴となるよう、砥の粉を使い明晰にする意味を与えてみると、遠い過去の材との記憶が蘇り、砥の粉との相性が私はよいのだと今になって判る。