素材に思念を絡めて探りつつ、認識以外の体感以外の史的存在の文脈の道行きを、こうすればこうなると確認して、現在の自らをズラさぬようそれでも眺める時間は注いだ。未だ手が離れたわけではないけれども、現在と云う自身を中心に再び構えると言わば「散文的」エッセイを遺しているのだと独り言ちた。 逆様を無理強いしている。水簸という物理道理はオイルにはなかなか馴染まないので、水彩がよいのかもしれない。肉厚の上等な水彩紙の柔らかな肌合いを浮かべたが、秋が深まる迄待つことにした。