仮想空間計画(Realtime Interrupt)/James P. Hogan (1995) 経験を巡る環境への派生リアクションのリアリティを確認するように辿ると、所謂Cyber-space(William Ford Gibson1948~)-Virtualロジックというよりも、知覚経験の、肉体的なfeedbackとして、アバターに知覚を全的に投射して受け止めるという理屈で展開される物語は、なるほど、映像への想起を含んでいたようだ。物語をそのまま発展させたものは少なくない。知覚と云う脳の深層へ降りて行く闇が明らかになるわけではないけれども、今後、例えば臨床や介護などの局面が牽引して、バイト情報の戦略的デバイス開発と運用が実用となれば、夢と死を超越する、知覚の蓄積という経験ができるかもしれない。それまでこちらが生きていれば面白いのだが。
明快なイコンとしてイメージを選別確立する為の文脈構想として、一年間放置していたプランニングを再開する。タイミングが全く同期して、同じ軸に乗る内容に関して、ushiyamaより電話があり、想念にストックしていたものを至急記述する必要が生まれる。このシンクロは時代的なものかもしれない。構想自体を提示するよりも、そのイコンの力を示すほうが先であるので、メソドの吟味と可能性の検証を同時に行う。
断片が断片として活性化する詳細を検討することは、実存的な自己完結の罠に嵌る畏れもある。断片という欠片の鋭利さを失わないように扱うべきだ。光景(風景)も然り。無人の状況は、断片化を意識することで、構成的な絵画性から逃れることが可能。体感としてh200cm×w250cmは必要。投影映像の場合は、3分か。
と考えを巡らせていると、月衛星かぐやの高解像度の画像がニュースで流れる。異常な程クリアな描写に、暫く放心する。このプロジェクトのレスポンスが我々に与えるものはかなり大きい。
Technobahn
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