幼少の頃の空想の未来像は、システマチックであったがオートマチックではなかったなと、sign-g.jpgrollyを眺めて思う。宇宙服の機能性にこりゃすげえなと思った幼い私も、制御系の構造の自動化とういより、生命維持機能というシステムの併置思考に感心したのであって、そういった必要性から導かれた形態に、頷いたものだった。
車のオートマも、面白くないと感じる人がいて、あるいはまた全自動というフルオートマチックの洗濯機に慣れていることは確かだが、電子レンジで全ての料理を納得できる人間は居る筈はないし、人間の介在の少ないシステムへの指向性は、単なるひとつの系列にすぎないとぼやきながら、sign-g.jpgeyeVioやYouTubeの映像を捲りつつ、映像もgoogle earthのようなオートマチックな鳥瞰の眼差しに類似したソースが溢れる今後を、冷ややかに考えていた。
日産がGTRを価格800万弱で開発する意気地の報道をちらっと眺め、本質的な「車」の未来への意味を開発側が敢えて無視しているようで、無様だと吐き捨ててスイッチを切っていた。
ループ、ランダムというプログラムの必要性があり、今回のOCの企画展に使用したが、これもつくづく考えざるを得ないメソドであり、今後安易な利用は出来そうにないと、椅子に座り直していた。
フラクタルのような怪物曲線は、仕組みに無限を内在させるわけだが、ランダムは、選択肢を無作為に行うだけ。つまり選択される対象が限られている。結局は何が選択されているのかとなる。ループは良い意味で捉えれば反芻であるが、飽きのくる単なる繰り返しでしかない。特定の出会いの時空間に固有に集約する想起の罠を更に人間的な意味合いで突き詰める作業が残っている。
使い勝手という利便性と、その使用による時代に呼応した想起の持続力が、そこになければいけない。
仕事でも絡んでいる例えば通信データ処理も、昨今ではデータ自体が短命であり、そのほとんどは数ヶ月で消滅し、遺産とすべきと考慮されていない。本来データは永続すべきであり、その永続性には都度の利用価値ではなく、上記した想起の持続力という生命が流れていなくて面白くない。


Webの勉強を割と本格的に始めたgarioに、Halo3をコンプリしてもらうのを眺めながら、sign-g.jpgOCインタビュー詳細ページを制作。
Halo3の物語には、いささか落胆した。
garioに、Capcomのsign-g.jpgGod of War 2を教えてもらうが、次は、sign-g.jpgDeadrisingを頼むぜ。などと。ゲームは、システムは面白いが、残るものは極端に少ない。大学の学部などが、こうしたシステムを使って、例えば歴史教材を構想すると面白いのだが。
やはり、ex machinaをamazon clickしていたgentaよりリコメンドweb site
sign-g.jpghttp://www.great-inter.com/
sign-g.jpghttp://1series.bmw.jp/
sign-g.jpghttp://www.marlenemarino.net/
今週もどっぷり映像編集の日々となる予定なり。
rollyには触手が動かなかったが、sign-g.jpgSONY PFR-V1にはちとココロを動かされる。学校の帰りにヨドバシとかで視聴してみよか。
sign-g.jpgPFR-V1レヴュー
上記より抜粋転載
ーしかし、目の前に広がる立体的な音像は“ヘッドフォン”とは全く別世界。ボーカルのセンター定位がきっちりと出て、立体的な音場が目の前に広がる。独特のライブ感が新しい。それでいて、耳は覆われていないので、かなりのボリュームでも周囲の音が聞こえているので、なんとも奇妙な音楽体験が味わえる。ー