日本のしょうもない寓話(ヴェサリウスの棺)に辟易し、反射的に取り込んだ森敦の金属質な鋭さは咳き込む肉体には重すぎたので、「星を継ぐもの」(1977)/James P. Hogan (wikipedia)を、大量の良質な水を飲むような気分で読了。余計な装飾的起伏の無い克明な描写の蓄積が心地よい。1977という古さを感じさせない。恩恵を大量に享受しようと、続編とされる、
ガニメデの優しい巨 人
巨人たちの星
内なる宇宙〈上〉
内なる宇宙〈下〉
を注文。届く迄、stay / David Benioff(1970~)(脚本)の99999。(25時、カイトプラン)(wikipedia)
金曜日の夜、仕事の披露で五反田に来ていたGenta、Gario,Ushiyamaと勝ちどきで合流。晴海通りの海鮮酒房るせっとにて熱燗を傾けながら歓談。アンコウ鍋、チゲ鍋、クジラ刺身等。Ushiyamaの持参した新作プリントを見ると、撮影する人間の選択に磨きがかかっており、naokiushiyama.comの開発を協力して、UAのCMを引き合いに出し、クライアントを探して深くて暗いCFでもつくろうかなどという話になる。ちょっといいかも。ロンドン留学時のIkedaの写真作品の話になり、ストイックな禅僧の趣の画像を憶い出し、皆のそれぞれ固有な写真作品制作を期待したいなどと繋げる。
こちらは熱等下がり、病み上がりのつもりであったが、咳が残っており、首を傾げていると、ushiyamaが春に患った風邪も咳を一ヶ月引きずったと聞き、皆に伝染しないか心配しつつ、それでもあれこれ話し込む。
寝起きで顔の膨れた酷いままのGarioの撮影(「昼下がりのマガリオ」と命名)を早朝の運河沿いで行い、昼過ぎには川合君の個展会場にて、次女を連れ皆で合流の予定だったが、こちらの残っている咳込みがギャラリーで響き、ウイルスの伝染が顰蹙を買うとこれを辞退することに決め、娘に予定変更を連絡。別件の打ち合わせにトリトンに出かけたGentaと、DVのスナップを任せたGarioでギャラリーで合流、取材を代行してもらうことにする。こちらはオフィスで、夕方迄映像の編集。ビル・ヴィオラ展から戻ったWGに放置したままだったGRAFの攻略を頼み、複雑な操作の習得の早い若さを眺めながらいつの間にか寝入っていた。(Genta曰くーlost planetより面白いかもー)
浅い朝方の夢の中、「人の話を聞こうとしないヤツは、物事に対して盲目。現実世界を何一つ見ることが出来ない」と怒鳴り合う政治家の喧嘩が、武道館特設リングで大晦日放送されるというTVCMを眺めていた。


サミュエル・ベケットの肖像写真の扉がこちらの気持ちを動かした、An Inner Silence:The Portraits of Henri Cartier-Bresson(1908~2004) / 岩波書店がようやく届く。
ワタシにとってHCBは、好ましい厳格な写真家というわけではないし、さほど好きな写真家ではないが、1965年のル・クレジオ、1947年のカポーティー、1943年のボナール、1963年のロラン・バルト、1961年のアーサー・ミラー、1967年のストラヴィンスキーと、眼の鱗が落ちる幾つかのショットに収穫あり。
HCBの肖像写真へのアプローチは、個人的な戦略のようなエゴ(個人的な記録)が覗くけれども、現代的なこちらの気分としては、HCBの振る舞いの「自由」を、そのショットに垣間みること自体に物足りなさを感じる。
むつかしいことではあるが、固有に対して変わらぬスタンスで対峙することの反復(時と場所と年齢を超えて)が、そうした気分を解消させる残された手法であるなと、この収穫では得た。
5年前に予感として取り組んだ-name beyond-の再検討と、所謂「肖像」という考え方を新たに定義し直す必要がある。