HDD録画していたThe Siege(1998)/Edward Zwick(1952~)を観る。9.11の予感・予知というより、引き金となったと云う批判も在るだろうが、シークエンスの構成は悪くない。Annette Bening(1958~)がとても良い。奇麗な女性だ。戒厳令下のNYの描写、ブルックリンのアラブ系住民の拘束描写など、他にもシステム的に不足も感じたが、ある種のこうした事故事件の裏側にある「どうしようもなさ」は感じられる。望遠で捉える揺れる街並のショットの通俗的な断片の繋がりがむしろ美しい。編集の力も大きい。ユナイテッド93が観たくなった。
「星を継ぐもの」の続編となる「ガニメデの優しい巨人」を地下鉄の往復と湯槽で8割ほど読み終え、こうした対話の積み重ねで突き進むplotも、荒んだものはどうしようもないものになるが、対話が好奇心を煽る演繹となって、ギミックではない大きな流れを与えるので心地よい。シミュレーションという概念を道具としはじめた70年代の小説として、実利的な検証でなく、これを観念の箍を外すエポックと捉え直し、可能性の中心をオールオーバーに点在させたのだろう。影響されて顕われた多くが浮かぶ。
本日夕刻より出張にて長野へ。非常に寒いらしい。更なる続編「巨人たちの星」と、「内なる宇宙(上)(下)」をバッグに詰めて、新幹線で幸せな読書なり。今夜は実家にて金沢から届いた蟹にありつけるらしい。
火曜日午前に銀座アップルの裏(有楽町側)のniche gallery/川合君の個展へ追加取材。Uboatのyazaki,iijima両氏、およびgarioに、DVスナップ依頼。咳の残りもあり、仕事の残りもあったので、取材後さっさとオフィスに戻る。
ギャラリー自体適度な広さがあるのだが、展示スペースに、あれこれモノが置かれすぎているので、作家が可哀想。空っぽの空間を望む作家は(ワタシは勿論)耐えられないだろう。画廊の業務上の傾向があるので、こちらがとやかく言う立場に無い。
これは、最近の(といっても9月)TPCも、同様に感じていた。この国の人間の性癖だろうか、モノを溜め込むばかりで、整理あるいは削除する能力が長けていると言えないが、特にギャラリーというものは、いかに空っぽであるかが前提となるべき。そこに置かれる作品への注視が余計なものに阻まれると哀しい。
今回は主に作家本人の写真撮影を主としたが、カメラを4種類持ち込むと流石に重い。といいつつ撮影しながら、
mamiya7 N 150mm F4.5L
Ai Nikkor 85mm F1.4s
Ai Micro Nikkor 105mm F2.8s
などの望遠の必要性を痛感。これは最近のこちらの傾向。mamiya7の不安感の残るビューファインダー、シャッターと比較して、nikon35mm一眼レフは、シャッターは勿論ファインダーを覗く事自体に安心感がある。軽い67一眼レフがあればいいが。pentax67はでかくて重い。と、ushiyamaのcontax645を羨ましく思う。HASSELBLAD6x6の中古(500c/m)を本気で探さねば。