停車駅の少ない新幹線で夕方6時前に長野に到着。幾度か眠りに誘われつつ「冷血」をゆっくり読んでいた。連休週末の一日手前であったから、車内は然程混んでいなかった。機材を抱えバスにて自宅に戻ると留守で、妹宅に聞くと、7時に駅まで両親らを迎えに行ってくれとのこと。久しぶりに車を運転して駅駐車場にとめ、立川黒部日帰りのツアーをしていた父親と病後初めての遠出となった母親、札幌から訪れツアーに参加した叔父叔母夫婦の乗るツアーバスの帰りを待つ。母親の元気そうな姿をみて安心する。
その夜は、実家に妹家族も合流し、久方ぶりの近親の酒盛りにて、tsuruにいただいたグラッパ(イタリアのブランデー)を持ち込み皆で美味いなあ〜とあっさり一本空ける。生憎の雨だが、黒部の雲の上は晴れていたよとcanonのデジカメにマクロや超広角レンズなどを幾つか持参した叔父の黒部の話を聞いて羨ましく思う。続けて最近撮影したものを見せていただく。6月から7月に一斉に単一種の花咲く見事に手入れされた札幌宅の庭の写真に魅入る。
翌日は札幌の叔父夫婦と戸隠の叔父宅へ誘われたのは、こちらもどちらかと云えば末っ子の父親方よりも馴染みの深い長女の母方の兄弟(母の弟叔父夫婦)らが遠方より集まり、後で聞いて符号に皆が頷いた祖父(母や叔父らの父親)の命日の前日に戸隠の竹葉という店にて会を開くからで、子供たちの出席の場ではなかったが、血縁の人々の撮影をと宴に紛れ込む。
流石に長野戸隠の山深い夜は冷え込み、ビールよりも熱燗だと酒がすすみ、皆さん呑みまくり、店の主人の送迎に甘えて、2次会を深夜2時迄続ける。大学を退職し、アルゼンチンで農業指導(植物寄生病理)をしていた叔父の、毎日2時間走っている話を聞き、やはりまたここで、走っている人間の恐ろしさを知り、最早こちらもすべきことは走ることなのだなと悟る。単純な行為だがこちらにしてみればおそらく非常に苦しいだろう反復を日常化させることが、残されたひどく知的な選択であると知る。
抽象を巡らせて創作構築する日々の削除と切断の切り札が、膨れた肉を絞ることなのだったと、翌日早朝早々雨の残る山村の道を走ると、数十メートルで息があがり脚が止まる。なるほどこれは辛いと今更に萎えた身体を恨めしく実感したが、これも遅々とした反復で数十メートルが数百メートルになればよいのだと楽観することにして、朝の健やかさが、自らが切り開いた手柄であるような気がしてきていた。