乗っていた旅客機が海に墜落不時着し助かった人間は多かった。機体は沈むばかりだからこのままでは駄目だと判断して遠くに見える島迄泳ぐぞと下の娘を首に捕まらせて懸命さが朦朧と省略されて泳ぎ着き、這い上がると自衛隊の基地の島で、「あの事故がなぜ見えないのだ」妙に時代がかった服装の隊員に怒鳴りながら、水牛の河渡りのような避難する乗客の列を海に眺めつつ「幾度かは確実に最早駄目だと思っていたな」胸に残る「恐怖」だろうか錆びた固まりの名残りも在ったが、助かった安堵を殊更に膨らませ娘とシャワーを浴び、身体に張り付いた海藻を流し落とす妙な夢から不意に醒めた。ぼんやりTVを点けた途端アメリカでの飛行機事故、続けて怨恨の血なまぐさい事件が幾つも流れるものだから、いまだに入れ子になった夢の中かと思ったものだ。ギターとベースとバイオリンを仲間で持ち寄って「コンサートをしようぜ」次女も訪れ、長女のギターアンプまで借りて洒落たが技術伴わず、ココロも疲労で摩耗していた。練習曲も決まっていない状態での演奏続行から離脱。飲酒に移行堕落。案件の打ち上げの意味もあって裏通りのもんじゃの店に入り、冷えたビールに逆らった久しぶりの熱燗が身体に染み渡る。断片的な2、3時間の睡眠が数日続いた後の酒であったから途中気を失った。
翌朝休日遅くない時間に目覚めたが気持ちが釈然としない。ガリオと中華のランチを摂って戻りそのまま再び気を失うように眠り込んだ。
夜中に気がつき、暗がりの中、もんじゃの席でしきりに撮影旅行に行こうよと皆を誘っていた自身を、自分の背中を眺めるような気恥ずかしさで憶いだされた。
ガリオの新ブログ
ヤザキ氏より聞いた4400 -FORTY FOUR HUNDRED– 未知からの生還者がちと気になる。


最終日に次女を連れ平町君の個展に行く。第一生命ビルの場所を勘違い間違えて、猛暑の日差しの下東京駅から歩く羽目になる。今回の展示は以前のものより作品自体の巨大さが際立つ構成で、一体感も倍増しており気持ちがよい。最終日で作家本人が会場に居るかと期待したが、広島での別展覧会も期間が重なっているせいか正午過ぎという時間のせいか姿なし。夜、入れ違いになり残念と云うメールを受け取る。筆と画布という方法は、確かに他のメディアを超越する恐ろしい程の力を持つが、私にとっては構造的にも経済的も問題がありすぎた。絵描き平町君自らが勝ち取って構築したこのある意味特殊な制作メソドの、今後の熟成を楽しみにしたい。今度はインタビューでもしてみよか。