滑るわけではないが水面をボートで走るように浮つく感触の運転が夢の中に戻るようなあるいは未だ居るようで磁気嵐のブラウン管が少しづつ鮮明になるように暗闇が失せるというより変質する儚い冬の朝、まだ出勤には早い時間の標高の高い山間でも行き交う車にも数台逢って時期的にも技術に磨きがかかる頃合いのラッセル車のハザード点滅の脇によける優しさにこちらもハザードで応えてゆっくり追い越してから少々嬉しいのだった。
朝昼夕と雪かきをしなければガレージから車を出す事ができないのでこの作業にも慣れた。おそらくこの地域では誰もが同じように日々を思う事無く雪に感ける時間を過ごしているという妙な共有感が広がる。テラスは冬のはじめから諦めた。一日の四分の一と決めた業務の時間の外で自らに果たすルーチンワークとしての記録画像検証と、偶さかの出会いのような情報を少し距離を保って並べ置くことを静かに続け、その隙間に雪かきの妙な共有感が滲むのがなぜか健やかだ。洗濯や床拭きなども同様であっていいのだが家事の仕草の達成形の完成に対して多分雪かきのどこか徒労の加減が醸すのだろう。無駄なことが多ければ愚痴もこぼれるが人生は豊かになる。
終身生命保険の契約変更のどこか間抜けな契約の穴に途方に暮れた後母親が読みたがった黒田夏子「abさんご」購入に付き合うとお前も読めばと半ば無理やりに購入を促される。こちらは捲り始めているものが幾つかあるので実家食卓で印象を交えるのは春先になりそう。