両手ですくう未来と躯に降り積もる過去の量が年齢と共にいつしか逆転し青年の頃のSFや近未来に魂躍らせた集中が過去へ向かう。ある意味立ち位置がすっかり変わっていることを示している。
孫は未だ居ないけれども幼い子供たちはこちらの手の届かない未来としてその子らの若い両親と共にただ遠く眩しいから、輝きを曇らせるような間違いを注がぬよう戒めて、降り積もる自らの短い「これまで」に向き合うと、数万年の過去も今のこの身其処に上乗せされ妙な響きを醸し出す。おそらく漱石や秋聲の作品から立ち上がる声を聴き取った小津がダイアローグとして成立する活動を脚本したのだなと腑に落ちた夜、いっそ今時のドラマ寓話を並べてみようかと立続きに辿った外国映画の秀作には、動的なギミックの未来ばかりが手のひらに重い世代には嬉々と受け止められる作品が零れ落ちこちらには残らなかった。
社会倫理の構築に向かう時も、この「時の嵩」の立ち位置でどっちつかずの危うい揺らぎが生まれるが、簡単にひとつ言ってしまえば「隠蔽」との決別を自覚するだけと今更に知る。
御法度 (1999) / 大島渚 (1932~2013)
Gone Baby Gone (2007) / Ben Affleck (1972~)
Total Recall (2012) / Len Wiseman (1973~)
Safe House (2012) / Daniel Espinosa (1977~)
Setup (2011) / Mike Gunther