母親の胸にみつかった影が、癌の転移なのかどうかを確認する為のCT検査があり、結果がでるまで、待とうと長野に1日加えて滞在した。昼過ぎに妹より大丈夫だったと知らせが携帯にあり安堵する。母親本人が一番不安だったと思うが、これで安心しすぎないで自制し健康を維持してもらいたい。以前より立ちくらみなどの症状や胸の痛みを零していた父親も、ようやく診察に行き、心臓の弱みを医師から明確に示され、対処法を認識して薬を服用するようになり、ほらこれニトロだ。と差し出しながら、けれどこれまでの分からない不安を抱えていた頃より自覚的な療法を得た今のほうが表情に絶えずあった険しさが消えたようだ。
仕事場というよりアトリエあるいはスタジオといったボリュームの移動は、これまでの手法素材が断片化され、様々な糸口となっていた資料の置き場所も分けざるを得ない状況となったが、それでも工夫してようやく整理が一段落した。不足は徐々に補うとして、不完全な幾つかの仕事に切れ味を与える作業に早速とりかからないといけない。
帰りの新幹線では、堀江敏幸「熊の敷石」を再び捲り、川上弘美の解説にあるような、率直な知性の世代を感じて列車を過ごした。