蓮実重彦「魅せられて」の執拗で綿密な言及を湯槽で反復し辿ることが、日々の、空間の把握も出来ない散らかった子供部屋を延々と片付けるような猥雑な仕事から身を一時切断し、自身の健やかさを取り戻す助けになって久しい。本は湯気を吸い込んで膨れた。けれど、私の場合、この健やかさというのは曲者で、一切からの解放、日々からの逃走という前向きでエネルギッシュな力ではない。むしろ猥雑さの中に散らかるという傾向を見いだして、それを許した上で振り返り、片付けるのではなく散らかった事々を抱き寄せようとする変質的で、唯物的な健やかさであるから、風呂から出れば、反復への意欲が沸き返る。おかしなものだ。自身の過去への眺めも全くこれと同じことになってきている。
人生が、動物的に備わった能力を駆使し、都度の臨機応変な反射で過ぎていくことが全てに自明であれば、未知に囲まれ喜びにも満ちる。併し、我々は動物であると一言で片付けられないモノになってしまったようで、時に幻想化し、時に石のように黙り込む。せいぜい、目の前に広がる世界イコール自身という実存と、見えてはいない世界への批判的な疑いを天秤に乗せるように抱え、今だからできることをしないとつまらない。
SCITサーバーに乗せたブログにて、最近眺めていたスタディーリファレンスをリストアップ。The SINE WAVE ORCHESTRAプロジェクトがシンプルでユニーク。
休日の夜、所謂過去を現在にとって都合の良いように仕立てたJESUS 奇蹟の生涯を見る。蓮実の大岡昇平論にあった大岡の小林秀雄批判と重なる。passionのほうがよいというわけではないが、歴史の事実というのは、全く新しい手法によって構築されないと、歪曲されたまま曖昧ですっきりしない。
Sean Penn/ The Assassination of Richard Nixon