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奇妙なことに、健三が意図的に報酬を期待して仕上げた文章が小説だとはどこにも書かれていない。大学教授という「職業」が間接的に比喩を通してしか語られていなかったように、「自分の血を啜」るかのようにして書きあげた文章がいかなるジャンルであるかは記されてはおらず、われわれが知りうることは、それが「益(ますます)細かくなって行く」文字で綴られたものとは異質の文章だという点のみなのだが、「道草」の言葉の修辞学的な秩序からすれば、そうした差異が明らかとなればそれで充分なのである。少なくとも、換喩的な世界を特徴づける窮屈な余裕のなさとは違った言葉の生誕に、人間は間接的ながら立ち会いうるからだ。
健三にあってのこうした言葉の生誕が、芸術を信じる者の孤独な善意によってではなく、金銭との交換を期待する者の差引勘定によって可能となっている点が「道草」の特異さだといえようが、実は今日にあってさえ、隠喩的な比喩形象によって語られる「職業」としての大学教師の真摯さを装ったエゴイズムがしばしば作家的と思われたりするのだから、修辞を介して利廻りの発見へと至る作者漱石が言葉に対して示す姿勢は、自閉的な文学観を大きく逸脱しているといわねばなるまい。
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夏目漱石 1、修辞と利廻りー「道草」論のためのノートー/蓮実重彦「魅せられて」作家論集より抜粋
CRIMINAL, No Way Up, ESCOLA / Mies Van Der Rohe と続けてDVDを観る。
メールの学習で、札幌の叔父よりの返信に添付された、昭和45年だなと父親が断定した「昔の写真」を見て影響され、「過去」の現在への効果に気づいた父親と母親が、夕食の後、机にのせた箱から溢れ出した30〜50年前のプリントをひとつひとつ手に取って眺める。幾つかを選び許可をいただき、デジタルスキャンすることに決める。これは駄目よと過去を封印したがる母親の言葉に半分は従うことにして、こちらも眺めの目つきが老いた者のように細くなった。不思議なもので、すっかり忘れていた筈の出来事が、写真を眺めることで感覚的に蘇るな、これは、何時の何処だと説明自体曖昧になりつつある父親の、併し妙にくっきりと顕われるらしい状況と、言葉には出来そうにない身体的な過去の空間や感触が降るのだろう、中途から皆寡黙になり、見つめるばかり。昭和40年中頃の、父親が勤務していた学校の田園に囲まれる航空写真に、こちらは魅入った。