気がつけば、一切の情報搾取を中断して音も消えたような時間の中、膨大な仕事に取り組んで十日過ぎていた。
ひとつに集中できる立場にいないので、これまでも繰り返したことと同様に、重複する異なったシステムを行き来する時間は、心身に堪える。味覚も変わるようだ。
気分を変えて仕事をしようと、近所の喫茶店にラップトップを持ち込んだが、場所柄営業時間が細かく刻まれている店で、途中で放り出される。
草を両手でかき分けて林の中を歩く夢を何度も繰り返してみていた。この草は、パラノイドパークの海岸と、ワイエス(1917~)のものだと、夢の中思っていた。
雪が降る前に、夏歩いた場所を巡る必要がある。
恣意の届かぬ光景というのはあるもので、アッと、きっぱりとこちらと無関係を誇って凛として唐突に顕われる。
考えを巡らせる方角を左側に転じるようにして、振り返ると、そうした光景の裏側を探るようにして眺める目つきに火が灯るのだが、その顔つきは人前に晒すような代物でないと戒めるから、結局弛緩したような表情を晒している。
そういえば、口実(プレテクスト)という形式は、フォーマットとして消耗されだけだと、ガス・ヴァン・サントの、目玉の動きが蘇った。