ユウジが上から気象を操ったか。下りの標高600m地点での気温表示が15℃となっていたのでそんな風に考えた。

数ヶ月ぶりに家中の窓を開けて換気と洗濯と掃除をしてから食器を棚に仕舞い、午前中は2時間ほど仕事を行い昼過ぎに八重ちゃんの家での待ち合わせに間に合うよう下り、途中安価な花と線香と水をスーパーで買って出向くと八重ちゃんは豪勢な昼飯を用意していてくれて恐縮する。よく考えれば買い物や遊びとは違うのだからと独りで戒め入らぬ腹に折角の料理を美味しくいただく。

数えれば35年ぶりかと中学のたった3年という時間を共有した友人らと過去と近況を報告しあうとあれやこれやの顛末が交錯しこのまま時間は加減を知らぬ速度で夕方まで進みそうだったので墓へ行くぞと促した。

それにしても同級生を、こいつは芸術家だから常識がないというレッテルで対峙するのはやめてほしいわ。そのへんのサラリーマンよりよっぽど現実検証に日々努力して常識を弁えている。と別に腹立ったわけではないけれども。記述には残しておこうかなと。あのね、おそらく独りの仕組みに従うか、集団の仕組みに従うかの違いだけなのよ。

ユウジのふたりの娘は嫁ぎ末っ子は働きはじめたと聞き悦ぶ。友人とはいってもべったりの気取りはむしろ切断したいと思う世代であったから、互いを飲み干すように理解しようとは思わなかったが、40のまま変わらぬユウジと変転していく家族を今みつめるこちらはなにかどこかもうすべて済んでしまった世界に住むような感覚が恥に思えた。