伯母の診察を担当医師より混雑する平日の夕方から週末の早朝に変えてもらったが生憎の雪降りで診察後の処方箋の調合も病院に隣接している薬局が混み合っており結局昼前まで3時間弱もあちこちで待たされた伯母は少々疲れたらしい。申し訳ないことをしたと反省する。次回の処方箋はヘルパーの方に後日近所の薬局でおこなってもらうようにふたりで話し合って決める。肺の細胞破壊を抑える為の抗生物質は効いているようだが呼吸自体が健やかになるわけではない。外出時の吸入用酸素を交換し伯母の指示で寿司折を昼飯に買って送迎完了。いいからというのに伯母は車が見えなくなるまで玄関先に立ち手を振るのでこちらもわかるように窓から手を出して振る。

数えればお父さんが手術をした8月からもう10回近く連れていっているのね。帰りに立ち寄った実家で母親が発行された日月という機関誌の短歌をみせながら呟いたので、もうそんなになるか。些かスパンのあまりに早く過ぎ去る時間に対して狼狽えのようなものが走ったがまあようやく父親の代理の役割から自分の責任で引き受けたことと自然に行動できるようになったとうなづいた。
両親が箱に入れて乱暴に仕舞っていた沢山の写真を息子は以前そっと持ち出し選び、最初は過去を検証する目つきだったがよいものをスキャンして汚れや折れなどを修復し父親の端末に入れて置いたものを2Lでほらと出力すると、まあ〜。母親はよろこぶので午後はそのまま実家で出力を続け、額縁に入れて並べようということになり、ふたりとも行った事のない近隣の100円ショップへ一緒にでかける。

こちらも他愛のないスリッパなどの雑貨を額縁と共にざっくり購入しプリンターのインクも補充して戻り、沢山の写真はアルバムにしようかしらと母親が云うので、否いつでも見えるようにずらずらと並べたほうがいいとおせっかいを焼くと母親は黙って従った。プリントには両親の結婚前のものもありほらあたしはこんなにやせてたのよと時差のありすぎる自慢をする母親もささやかに過去を抱き寄せる額縁をよろこんだ。次女から電話でノロウイルスにやられたと報告がありでも月曜日にはバスで行くと熱の下がった元気を取り戻したばかりの声が弾んだ。

夕方には市街の雪は溶けたが向かう山間は白く霞んでいた。のぼりきった飯綱の家の界隈は霧と積雪で白濁していたが、白い靄がさきほど目にした母親の凛とした角隠しの画像を再び浮かばせた。