独立行政法人国立美術館という特異な運営と収蔵品を持たない存在意義などへの批判もある黒川紀章設計の国立新美術館の内外を歩くと、やはり、設置構想から抱える曖昧な箱ものと文化との勘違いが、この構造そのものに顕われていた。
設計外廓の空間が影響するのはロビーだけで、展示空間と、まさに裏側のテラス空間は、パッケージとは切り離された無機的な空間が、動物園の檻のように繋がっているだけ。固有な空間と、置かれる作品は、いわばパッケージの中に包まれた別物として置かれる。表と裏側のこうした隔離は、この国の「疾しい」態度のようなものをあからさまに示している。観客は、場所との交錯を楽しめない。
湾曲した遮光空間の及ぼす空間の中にこそ、その光を受けて、場所性を際立てた作品が置かれるべきであり、そうした空間の固有性への言及を諦めたような考え方が、いわばこの国の現在のレヴェルそのものといえる。
併設企画のマン・レイ展を歩いたが、ここも、この場所が一体どこなのかわからず仕舞い。