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 旨かった富岡蕎麦を喰いに、今度は父親を連れて行こうかと昼前に支度をはじめ、車を走らせると、蕎麦好きの父親が以前に一度連れられて、竜王の坂の途中にある蕎麦とピッツァの店に行き、そのピッツァが旨かったと、このランチには蕎麦なのかピッツァアなのか、どちらを喰いたいつもりかわからないことを助手席で呟くので、兎に角行ってみようと中野から飯山へのルートを変更し、夜間瀬へとこちらは初めて走る国道402号を登った。
 北志賀に位置する竜王は、表志賀のパラレルワールドのようにホテルが乱立し、冬のシーズンにはそれなりに賑わうのだろうが、八月の終わりは閑散としており、女学生の二人連れが歩く姿には、お前らこんな所に何をしにきた? 刑事になって突っ込みたくなる妙に侘しいミスキャストサスペンスの風情がある。1994年が収益のピークだったが、2004年には1/3に減少。2005年に民事再生法にて復活させた経緯があり、バブル期に巨額を投じ、一度はコケた面影がホテルの壁などに残るリゾートだが、わたしは一度も来た事がない。高校のスキー合宿の時は、志賀の横手山から新雪の中滑り降りていた。オリンピック時には公式ゲンレンデとされなかったが、上のほうは気象が違ってパウダースノーの評判の良いゲレンデらしい。と後で、このあたりに馴染みのある妹に教えられた。
 ゲレンデの下まできて、どこだったっけな。こんなに上じゃなかった。すっかり店のロケーションを忘れている父親に促され一度来た道を戻ろうとした脇のコンビニで尋ねると、もっと上だと教えてもらい、リフトの間を更に登って、ロープウエイ手前で、ああ此処だと「山の実」という店を見つけたが、生憎閉じており、窓に貼られたものをみると、土曜、日曜祝日のみ開店とあった。
 折角だからロープウエイに乗ろうとしたけれども、病み上がりの母親が、昨日の雷を持ち出して恐がり、丁度次の発車まで半時間もあり皆が腹を空かしていたので、標高差800メートル、標高1900メートルの竜王山山頂までの旅はオアズケとなった。
 途中、岩戸屋という十割蕎麦の店をみつけていたので、竜王入口まで戻り、昼飯とした。


 夜は、再読をはじめた堀江敏幸の「未見坂 (みけんざか)」短編集の中程まできて、最初は文体の柔らかさに閉口する気分もあったが、やはり時間軸を植物の根の繊細が染込んでいく蒔かれた田畑のような文体、文脈が何気ない瞬間を支えるように構築されているなぁと、言葉の重なりの配置を見渡す案配よりも速度を落としてゆっくりすすめていた。腑に落ちるような読みができるのは、季節の、気象の変化のお陰でもあると幾度か涼しい夜風のなか思った。昨日の、真昼の凄まじい雷は、このあたりの避雷針の代わりになっていたTV塔がなくなったからよ。母親が独り言のように呟いていたが、巨人がこの盆地に立って、東京ドームほどのバケツを両手で切り裂いて出鱈目に放り投げるような、あれほどの落雷の暴れようも、こちらにとっては、見えぬ巨人に萎えた俺の背骨も抜き取ってくれと頼みたくなるようでもあり、むしろ清々しいのだった。