細い食による栄養失調から血漿蛋白が不足しアルブミンの濃度に影響する膠質浸透圧の弱体化によって腹水が増加し内蔵を圧迫する悪循環と考えたが、怖れるのは腹膜播種だからその線はどうなのかと担当医師に坦懐に尋ねると、勿論そういった全体を俯瞰した治癒検診を行っていますとCTやMRIの画像を示されつつ丁寧な説明をいただいた。数値的には父親の軀は美しい。
端的に考えれば、生命の基本は「自力」で恢復へ意志することなのだと得心し、医師も立場上そういってしまえば危うい場面もあるので堪えたようだったが、都度の不具合は医師の診療知見に任せ、母親を加えて三人で相談し午前10時と午後3時の「おやつの時間」を食の一部に加えて、糖分も摂り、基本の三食は細くとも、一日5食というリズムで栄養享受の代謝活性をはかるべきと「自力生存」のサポートを決めた。絶えず傍にいる母親はおやつなど摂れば基本の食が尚細くなるという素人の直感で胃の活性がゼロから立ち上がると考えたが、それは健全体の旺盛な欲望に基づく想定にすぎない。母親は自らの認識不足を素直に認め、栄養点滴に縋ることも結局腹水を増加させることになるとはじめて知ったわと続けた。
検査の後だから休んでいていいわよと母親がいったけれども父親は自分から連れていけというので彼岸にも墓参りをしていなかったことが頭に残っていたのだろう戸隠の母親の実家へふたりを連れて行き、叔父亡き後も独りで生産タバコの納品始末を終える間際の叔母の元で、父親は数ヶ月ぶりにやせ細った軀で霊前に手を合わせた。
野菜を持って行ってと外に出た叔母と、こちらは車に置いてあった携帯を取りに出た時に、あまりにやせ細った父親に可哀相と小さく漏らした叔母は、想像していた父親の姿ではなかったようで動揺していた。こちらも腹水を2リットルほど軀から抜き血液検査をする際に、父親自らこちらへ差し出した左手の腕時計を外す時の袖から現れたミイラのような萎んだ腕が再び浮かび、毎晩理科室の人体模型のようだと笑えない冗談を交わす母親の風呂場での介護の一度井戸に落ちたような、落ちたまま天を仰いでいるような眼が目元に重なった。
恩や義理や勤めではない世話なり付添う息子に、姑や孫と共生するという家族生活経験をしていない母親はまるで付き合いはじめた恋人のような父親への一筋の糸のような世話に没頭しているのは、自分の力で、元通りになる。元通りにしなければいけないと思うからだろうか。どんな位置感でも家族であれば傍にいるという倫理よりも感覚的な存在の自明でこちらが動いているとまで理解が届かないようで、息子に向かってどうかよろしく頼むわねと頭を下げる時があり、おれはあなたの腹からでてきたんだからといってやりたいくらいに閉口したが、黙っていた。