99年に描いた絵空事の中で、独りの男が空っぽの部屋を拭き掃除している場面があり、あれは入居の、場所への導入、介入の契機であったけれど、今回は撤収の場面で、同じことを行っている実際の自身がいて、どこでリバースが始まったのか列車の中で小さな混乱の想起を転がしていた。丁度三回目のスライド、転機、変化といえるかと、90,20と、30年を振り返って、否、絶えず予感に支えられた、既に観ている現在がそこにあったと、久しぶりに読み応えのあったクーリエの「心理」の号を辿った後で、何も不思議はない。変化でもないのだ。と小さく声に出していた。言葉が形を与えた。

儚さに寄り添う傾向が、否、揺れ、ズレに寄り添う傾向というよりも指向があったな。ひとつだけかかさずに観るようにしている「それでも生きていく」というドラマの久しぶりに「批判的」に堪能できるプロットを酒で迎える週に一度の日課の中、この時点を普遍へ転化するのは、どこかの誰かに対して申し訳ないと、これも意味もなく重ねて思いながら、なんだかようやく愚鈍に腰を据える覚悟が形になったわけかと、自らを、現在を、いっそ省いても場所だけが残るようなあっさりとした短さを、五杯のグラスウイスキーの、カラダの痛み止めの酒とともに煽り、言葉の併置、つまり詩だけが私を牽引していると、喉元に込み上げた言葉を飲み込んでいた。

引っ越しを報告したアライからなぜか示唆的な教条的なレスが届き、言い訳を再び返しながら、奴との高校の頃を眉間に集めるように憶いだすと、同じような距離で、家族や他の友人が立ち並び、それぞれがほら何も変わっていないと声を揃える姿勢なので、ベッドに潜り込むのだった。

短く深い眠りの中の夢で、私が大勢を前にしてマイクロフォンで、どうか皆さん「疲れた」とか「哀しい」とか言葉にすることを続けないでください。と小さくつぶやいていた。言葉を繰り返せばその言葉の未来を招くのでといきなり目が覚めて思ったものだ。

カトウからたまちゃんのヤケドが目覚ましい再生能力で、なんとか乗り切れそうだと聞き、まるで祖父のような気持ちで安堵する。こうして親子ともども親と子になっていく。