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Canon Digital Photo Professional 3.4.1.1へアップデートで、Raw画像表示の問題はなくなった。
G5が、MarkIII対応バージョンではなかったためRaw表示されなかった。モノクロTifなども諧調を考慮した16bitをDPPから変換したほうがよろしいようだ。BW出力のセレクト(現像)を135枚程するだけで、精魂尽き果てた。

泳ぐ時は泳ぐ。寝る時は眠る。そんなシフトに素直に従う十代の身体でないので、座して動く身体の不具合に愚痴を零し、酒の酔いの中で論理を歪めるように、歩きながらの撮影を終え画像を眺めて観念の構築をする際に、歩行の体感を引き寄せて顔を顰める無為に苦しむ。いずれにしろ、ここ3年程のデジタルデータを見直して、フィルムよりも格段にその処理の速度は上回ったが、恣意通りに動かせれば動かせる程、観念の間口が広がって取り留めもなくなる。ここはひとつ寛容を棄て、手法を線で結び、現時点での結実として、はじまってしまったことを同じ手法で終わらせる必要がある。
外に出て気分が変わることを怖れるように、素麺を茹でて腹に流し込み、再び現像を行い、頭に休養を与えぬよう音も本も足で遠くへ押しやって、部屋を暗くして瞼が落ちるのを待ち、起き上がって素麺をまた茹でる。

小西本店 六櫻社 鏡玉と暗箱
丹羽良徳


会議が長引き、月初めだというのに微酔いの酒臭い乗客もあちこちにいる混雑した車両で、 Åsa Larsson、女性特有の、良く言えば繊細な、悪く言えばくどくどとした描写に、車内環境を無視する気持ちが手伝ってそれでも引き込まれ、振り返った車窓からホームの駅名を辿ると木場だった。
夏休みを挟んで一ヶ月ぶりに学生たちと会い、前日の深夜ネットで若い作家の奔放なエネルギーを眺めることもあって、自身の行く末というより現在を相対的に考えるのはやめようと一層感じつつ、気を緩めると浅ましいなんら反省をしていない混濁に慌てる状況を呼び込む気質を戒める深い溜息が、駅から歩き出す足取りに合わせてこぼれた。

白黒プリントをテストしながら、現代のテクノロジーが辿り着いたクオリティーに驚くが、「一枚の紙」という現れの扱いを、今更どうしたものかと考える意気地が萎える時、二十歳過ぎ頃にモノも喰わずに熱中していた銅版画への取り組みの日々が浮かび、そこにHans Bellmerの線や、松脂の香りが加わった。
顔料の色の粒子を付着させる手法は、そもそも10年間ほど、カンバスに炭化ケイ素の粒子を置く足掻きを盲目的に取り組みシステムの循環不全で果てたが、それと原理的には似ており、ざらついたテクスチャーは個人的には好ましい。染料に比べ耐久年数が高いとのことだが、そういうことよりも、再びこの一枚の行方に責任を持とうと決めた途端にあれこれ狼狽えるとは、なんとも情けない。
ふと、遺された部屋に置かれた形を想起した。

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