残された妻はまだ健在だが実質的には主となった従兄弟がしきって彼岸の日に一周忌が行われるので、兄妹の最後の生き残りであるこちらの父親を車で雨の中送り届ける。
帰りは、従兄弟の娘たちが、こちらの父親を自宅まで送ってくれた。
割烹のようなところで坊主も一緒に直会(なおらい)にて豪勢な馳走を頂いたと、食べきれなかったものを包んで持ち帰った。
母親が直会と呼んだが、父親は、寺の関係はそうは言わないと指摘した。
なんだか大昔の父親のお土産の寿司を開くような感覚で料理をみると、中に桃の莟が枝とともに添えられていたので、花開くかとぐい飲みに活けて机に置く。

五人の兄妹というのも、こちらからすれば想像がつかない。それがばたばたと数年で亡くなり、結局肉親は全ていなくなった。独り残された気分はどのようだろうかと、少々酒を飲んできた父親をみても、よくわからなかった。
ただ、最近は、こんな時にかぎって記憶が緩く錯綜するようで、子供の私など知る筈もない幼少の頃の友だちを呼びすてにして、ほらと促すので、知らないと答えるしかない。
誰が何時逝ったかなども、さして重要なことではないようで、今頃だったなと漠然と構えている。

夕方に母親の友人の方が、手作りのおはぎをわざわざ持っきていただき、夕食はそれで済ました。
戸隠の病床の叔父は、小康状態が続いており、これも息子と娘が週末には戻って、一昨日はマグロの刺身を口にしたと、叔母が嬉しそうに電話口で話した。

気温は若干立ち戻ったかして、外から子供たちの声が遠く聴こえた。
茶を飲みながら、この町は、場所によっては、老人しかいない区画もあるようだが、このあたりには小さな子供たちが大勢いるんだと、母親は嬉しそうに子供たちの名前を挙げた。
午後になって、風呂を沸かし、のび放題だった髭と頭をを剃る。
母親が、おや、つるつるだね。と、そういう声が実に息災を感じさせる。

上は就活の学びの中にいるので無理だが、下の娘が休みだからそろそろこちらに来るというので、それまでにあれこれ片付けることに専念することに決める。
残り時間少なし。