木炭で素描をしていた頃、中間のトーン(調子)が苦手だった。未熟な青臭い瞳にとってはくっきりとしたコントラストは気持ちがよかったし、木炭の粒子をデリケートに繰り返しのせてはけずり定着させる焦るような手元ではイメージの実現(というよりビジョンコンバート)はなかなか簡単ではなかった。同じ制作の時間の中で、清廉清明な画面を仕上げる友人を畏怖の眼差しで眺めたものだ。淡い明暗の判然としない霧の中の情景のようなトーンのほうが、実在のリアリティーを醸すものだと納得した時、こちらは青くはなくなっていたが、大切なナイフを落として無くしたような心地がしたものだ。

その後、輝度の鮮明差異つまりコントラストは、物事を白黒はっきりさせる効果はあり、極端なコントラストの「切り絵」のような有り様を探った。余白(ブランク)の海を広げ、そこで中間のトーンを戯れる設計だった。そのはじまりは木炭であり、やがて目に痛いような炭化ケイ素(研磨用)となった。これも、どうやら美術大学の美術部という奇妙な洞穴のような版画部に在籍していて、純白のアルシュを犯すようなダイヤモンドブラックの闇顔料に魅入られた時期に理由があるようだ。
最近のデジタルイメージのRGB画像に堪えきれず、彩度を限りなく落としていくことをしていて、結局黒々としたモノクロームの中に辿り着くことが度重なり、あの時に喪失した瞳の欲望(ナイフ)が時を味方にしたのかともおもった。

いずれ私という淵では、「この場所」という制限を理由に、それが生存であれ傾向であれ、異系であれ凡庸であっても、「此処」を探らずに何処を検証するというのだ。そもそも最近は変化に対応して都度応答することから、ようやく離れはじめているかなと。

ようやく自由になりにけり明暗淵