深い眠りの君の横で

混濁と節操の喪失を醸す時空を生きていたと振り返れば25年ほど猥雑な空間で物を考えざるを得なかったしそういった振動する蠢きの横であるいは自身も揺らぎつつ制作していたのだと今更に得心したのは、青年の頃まずは手に入れようと浅い幻想を抱いた思索空間にようやく辿り着いていると気付いたからだった。

放浪の二十代から喧噪の三十代を経て成りゆき任せであったが閉塞の四十代を堪えもせず越えてきて今静湖に浮いている。自らを幽閉したかの外面でも指摘されるが実は単に辿りの帰結にすぎない。とはいってもこの時空に軀を自在に投影するにはそれなりに時間がかかるもので、二年近く過ぎようとしてはじめて道のをみつける有様だ。ほぼ30年前に開発された別荘地は高速道路の開通に伴ったバブルの気配も濃厚な時期にシステムが完了しないまま時を経てあるいは打棄てられ管理棟も黄昏ている。当初はなんとまあ草臥れた言わばひとつもふたつも終了した場所なのだと感じたが、それはこの身も同じであって、並べてみると相応である。

生の目的が刷新と革命、革新である青い時期は誰にでもあり、また大小構わない崩れとの遭遇によって切り開くべき目の前が現れて対峙を迫られることもある。山の中腹の現代的喧噪と隔絶された風と霧の中に居てしんしんと降り注ぐ雨のような精神への促しのほとんどは、此処にて更に目を凝らし耳を澄ませとだけであって、故にこのことが山を下りた地に関係するとは思えない。

振り返れば二年前にあれこれさまざまな場所を彷徨って探したある夜、娘のひとりが私の死後に山の庵を訪れる幻視に促された一文を書き留めている。あの時わたしは虚空に浮かんで幻視の広がりに置いてあったベッドでゆっくり眠りなさいと気配のようなものになって娘に諭したようだった。