ピノッキオの関節

骨が生成されたのは、3億5千万年彼方の海から淡水へ生存環境を移動した生物が鰭を川岸の植物をよけ、あるいは流れに逆らって鰭を川底に突き刺して進化したわけだが、脊椎と同様関節はさらに複雑に生物の動きの必要によって今の形になった。ジェッペット爺さんのこしらえたピノッキオの関節は、意志を持って話をする丸太をマリオネットへとこしらえたから、ベルメールのような上等な球体関節人形仕様だったかなどと妄想しがちではあるがそこを堪えることで、ピノッキオの関節という思考が生まれる羽目となる。

関節は軟体動物の蠕動とは本質的に異なった力とスピードに充ちた構造であり、もっとも明快な「関係のかたち」ではあるけれども、ピノッキオにはこの部分の言及がない。木偶の坊のピノッキオがジェッペット爺さんによって松から彫りだされるのはよいとして、ピノッキオの関節はどのようだったのか。この問いを原作へ投影する無邪気無謀が寓話自体が持つ可能性のひとつであり、良きにしろ悪しきにしろ寓話が持続する為の関節ならぬ結節となるかもしれない。そもそも捏造や憑依がはじまるのもこうしたどうしようもない溜息を放下する案配であるような気もする。

こちらのイメージは、理由はまだ判然としないが、ピノッキオが樹木へ回帰する接続点としての関節ばかりがみえる。冒頭の話す松の木が転がっているという演繹から。

マリオネットはこの国では人形浄瑠璃ということになる。ひょっこりひょうたん島に馴染んだこちらは上からより下からの文楽にバイアスがあるかもしれない。しかし彼らには関節がなかった。関節は意訳され簡単な糸か金具で繋がった程度だった。