物語(併置言葉の策定)と心細い仕立ての等価位置

心細さとは先の見えない淵に向かう手だての貧弱を示すが、これは豊穣な手だてが淵の全面的な解析へと向かう筈では全くないという背反の意志ともなる。

物語は同じ筋が示すべき解明を微分する方向に開かれている必要があり、つまり矛盾混沌善悪などが彼岸の理念の元で整理されない前提のまま開拓され続けるというある種の散乱論で展開される。

物語の社会性というファンクションはヒーリング(癒し)に位置づけられるしかないが、修復論という教条的理論でこれを原理化するのではなく、整理された理知的な足掻きの持続そのものの人間的生の痕跡が、それを保証するだけとして、「癒し」というそもそもの捉え方自体を解体し、単なる平安という無思考、弛緩、脱力、蘇生などの他に、癒しの闇という深層「癒されたいかー癒されない時はどうするのか」を抱える基軸を示せ。

繰り返される表象の筋(原理)は、模倣と併置から成り、それでしかない「心細さ」は、素材手法論として限定的でありながら、前模倣、前併置という「直前(雨降る前の雨の予感)」の「意志」を立ち上げる浄化システムを伴うものする。この儚さ故の自浄はさまざまに呼び込む可能的磁性の放棄に向かう為のものとなり、脱皮というよりリバース、変異というより基本、プログレスというより退行、速度から移ろい、口語から言葉といった風な、シフトダウンを、成熟の時間へ摺り合わせる弁えとした態度となる。