対象

追跡対象と好奇心とそこに注ぐ意欲気概が単にどうしようもないモノである時、その専念のカタチはユニークでしかないから、間主観的共有空間に放たれる目的も無いということになる。併しこの対象が世界現実である以上普遍を伴うパラドクスがあって、誰もみたことのない例えば「白いぐにゃぐにゃしたコト」としても、既に言語による概念化という間主観が共有される宿命にあり、誤解を拾いながらもそのユニーク(固有)な指向は、ひとつの個の所属とは云えない。

共有感を切り広げるエモーショナルな罠が、このユニークを牽引する場合、「判り易さ」という土俵で展開する王道があり、これは情報伝達技術的にも、量産流通するデバイスにも、視覚伝達の基本と捉えられているが、日々その当たり前さに首を傾げることが多くなるのは、エモーショナルな罠という滑稽でマジョリティーを獲得する浅薄がユニークを陵辱するからであり、このジレンマはいつの時代でも払拭されることはない。

専心のカタチを上手に構造化し、つまり従うものには従いつつユニークを率直に広げる技術を訓練し、時に照応したポップな楽曲を、リズムとメロディーと詩と演奏という基本構造で構想しながら、全く別の指向(音響工学や振動あるいは音自体)をユニークに求めることは可能であり、漱石の新聞小説然り、体裁は特異でなくてもそこに注がれる固有な気概の源泉は別のことであったりすることもある。