水平面

そうか起伏に富んだ環境を経験することで例えば池や湖といった水平面は唯一の山中での抽象を喚起するのだとはっとする。

夢の中でも何度かビジョンが重なったこともある。都市下では水平と垂直に刻まれウネル空間自体がどこか使い古された恣意と象徴されるので、その抽象の意味が異なる。狩人や獣の上下も判らぬ逃走あるいは本能の走りの目の前に顕われる水平面のなんと清潔なことよ。

物語がミステリーや異常な出来事で語られる創造の時、言葉は局面に照応した現実感の寓話として再現されなければつまらない。言葉の磨かれ方はだから日常のありふれた交換の実直では物足りないと覚えた場合、やはりその時人はどうする、どう発音するのかという、ラップのような韻も含めた言葉の構築を先鋭化させるものに惹かれるのは道理よなと頷きつつ、朝方かなり以前に観た記憶のあるBlood workを観ていた。

乗算の語りの如何わしさはほぼ雛形を踏襲するしかない。良い悪いは故に踏襲の中に在るわけだからつまらない。

ヒトが意識を点に繋ぐ時、その点は如何なる仕様であるべきかという答えのひとつとして、ピノッキオの次に水平面が実に自然に見いだされることのこの嬉しさ。とここで海老塚さんの作品が浮かぶ不思議というより理解が湾曲に降るかのよう。彼の横浜の前にはウネル水平面が彼方へ広がっているからな。

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