積み木とピノッキオ

当初の設計では軽く薄くというライトワークをしれっと行う予定だったが段ボールでマケットをこしらえた実際の空間を眺めておやちと違う。腕を組んでゼロに戻す。

山奥の山村でとにかく積み木で飽きもせずひとりで遊んでいた。部屋の中では積み木だったが外では庭に穴をいくつも淡々と掘っていた。どちらも微妙に雹が降る感じでぱらぱらと記憶にある。フレーベルのような高価な積み木ではなかったが足りなくなるとマッチ箱やら父親のピー缶やら代用していたけれどもこれでは駄目だなとガキが生意気に思ったものだ。モノを置く事で世界が広がる知覚の基本をガキの頃に知らずうちにどこかにしみ込ませていた。今でも消えずにむしろ膨れた。

と頷きつつちょっと丁寧に積み木を今回の制作(ピノッキオ)の構造としてみようかと再度図面を引き直しライトワークのつもりで準備した素材を棚に仕舞う。色彩も昨今の不景気に照応するパステルカラーなどもいいかもしない。(*好景気の時代モノトーンが流行るらしい)

はじめての端末イラレでこしらえた絵本があったなと十年前の箱から引っ張りだすとやっぱり積み木だったので思わず笑う。松の木から削りだされたピノッキオとも相性は悪くはなさそうだ。