ほぼ十年前の仕立ての継続運用が、システム提供側の刷新都合で不能となる局面が細かく重なり、地道に積み上げた微細な手前の仕様を改変しなければならない。これは簡単なことではなくて骨が折れる。
例えば1992年に購入したジャケットを一度修復して32年の間羽織っているこちらにとっては、長い時間付き合うことは自然な態度であって、道具などは半世紀を超えて使い続けているものもあるから、利便性や速度重視などへ向けた昨今のテクノロジーデバイスの、短期間で頻繁に更新を繰り返す思想と、これをより良きこととするポピュラリティに首を傾げている。
日々手に取るカメラレンズの類も同様な波の内にあるから、10年使った筐体の交換を何度か考えたけれども、筺体よりレンズから歩み寄り直して、デジタルレンジファインダーへの全面依存から身を引き、一眼レフを新たな気持ちで覗いている。とはいえ、画像現象から加工・編集するアプリケーションも、古いタイプは、新たなシステムでは稼働しない。
記憶欠落の自覚という身体性と、研く解体解析を記憶時間論とする重層化への取り組みとなっている制作から導かれて、こちらの倹しい生の一本軸を行きつ戻りつする中、まあとことん己を尽くすしかない健全を脅かす巷の更新の嵐には辟易する。
|