車の中で聴く音楽を一、二月毎に更新して日付を与えた直近のミックスリストに加えたつもりだったがこれが間違っていて、過去のリストに加えてしまっていたことに気づいたのは、ランダムに再生される楽曲がこのところ耳に流れていたものではなかったからだ。日々延々と車内時間を繰り返す生活ではないので、聴こえる音楽に執着偏愛はない。けれどもそれなりの反復したはずの過去の音響に対して馴染みが失せている感覚があって、読み漁る書物同様、巷の時の流れより速度ある記憶寂滅の身体衰弱にはあっさりと諦念を収めたが、いつまで経っても流れそのものに翻弄されている自らの浅ましさを感じつつ好奇を離せない。聴覚とハンドルの裏側では、眺め尽くすと決めた錯誤最中の「私」と示す物理作品への凝視を浮かべ、愚直進捗の小さな振る舞いを、唇から発音する言語で辿っていた。
それら呟く言葉の列挙の横に、ふとこのところ二度三度目にしていた「新世界」という言葉が並置され、これはなんとも頓珍漢な言葉に感じるのだった。而も書物の中に置かれている装いでなく何処か春先の新芽のような出立ちでの目撃印象がある。世紀が変わる時にも囁かれることはなかったと記憶しているこの言語感は、歴史の中に収納された元来の意味合いや流用が示した地政学的場所性やエポックメイキングの事象起点による変容などの再来とは言い難いものであり、所謂昨今のテクノロジーによるシンギュラリティー、各種中東紛争、経済事象、気象事情などから言語修復を果たした得心が広く示されている感もない。Zと呼ばれる世代以降では大いに持て囃される言葉なのだろうか。
瑞々しい生命には未来を見つめる眼差しの力は率直に枝を伸ばす。自らの生命自体を振り返りつつその理由に身体を消費し時間を費やす老境となり、目前への態度倫理を都度考える風となり、こちらにとっては巷の印象操作のニュアンスが含まれる「新世界」などの言語修復の風潮は、時流記憶寂滅に任せた。自身の個体精査と修復継続は終わらない。
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