一秒を細かく刻む非生物的なシャッター速度の撮影で静止画像を得てから、その静止画像を重ねて透過させ新たな一枚の静止画像を生成することを幾度か試していたが、最近の機械のスローシャッターという性能によって、従来よりも殊更難しい作業ではなくなったので、意識的にせいぜい二分の一秒から一秒という光をレンズに受け容れる時間拡張シャッターによる静止画像の生成を試すと、成程静止画像に時間が顕われているように感じる。
ここ一、二年、自身の平面への物理的な事象介入に、どうも時間が大いに関わって来ている自覚があり、謂わば、引き起こされる形象事象の時間的な推移を、視覚的リフ(*)と眺めている感覚から生まれる享受は、咀嚼すると背後から好奇心の触手が新しく伸びるかの鮮やかな広がりがあり、これは他の事象と思いがけない照応をみせる。
1981年の第15回日本現代美術展に出品した私の作品(*)には、この時間考が萌芽しており、中央に置かれた木片の軌跡のようなものがズレて振動の態を示していた。未来派や、ヂュシャンの階段を降りる裸体 No.2、あるいはまた音響システム的なテクノロジーからも、当時から、所謂王道的な形象静止画の、静止を諄く反復して封印するかの静止画像完遂を指向すること自体に目を背ける風情が、こちらにはあった。
ではさて、如何様な時間を視覚的静止画像リフへ促すかで、その作業計画自体に迷い込みつつ、これを愉しむ他はない。アナログ作業の造作反復として、13cm正方の机上立体構想をはじめるのだった。
*音楽におけるリフ(riff)は、オスティナート、つまり、繰り返されるコード進行、音型、リフレイン、または旋律の音型である。
*解体してしまって現存してない。東京ー京都ー香川(別途招聘企画展)と移動して展示された。
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