SS_WT_2024

sticks in the static / walking tree 2024
oil on a 30-year-old dismantlement canvas..

 三十数年前の保存の良い木枠画布作品を解体して画面を磨き当時与えた所作をすべて消し去って無かったことにしたいわけでは勿論なかった。八年前のもので始めた解体初動では大いに控えた溶解剤を使用したのは、紙ヤスリの研磨程度では歯が立たない堅牢な画面であったので容赦なく溶かすことにした。過去の名残はかなり薄くなったが、浅薄で直線的な青い観念と狼狽えに似た「あの時」の放下態は、弱い痕跡でこそむしろ身の内で際立った。
 一年前に同様に経年した過去作に現在を併置加筆する取り組みを行ったことに連ねて、春先のものが下敷きとなってふたつみっつと重ねられた。冬場の黒胡桃材を製材して並べる作業より導かれたマッチ棒に似た数ミリのサイズ違いをあれこれ揃えた同材棒欠片の積木並置から平面を位相する木炭ドローイングを行なってから、乾燥を促す季節を見計らいオイルペインティングへの所作〜乾燥の周回が軌道に乗った頃に、これまでに展望したことのない「平面性」がふいにくっきり課題となった。
 床にひろげて膝元で展開する画布取り組みのスケールは、観念の中で幾度かマケット地味て観察されながら、その俯瞰をしれっと詭弁的普遍へ落とすつもりはうまれなかったので、妄想へ悠揚迫らず、尺度契約のみを守る如く構築作業に従う。
 こうして顕われる現在が近い季節に再び異なった視座を加わえた加筆過程を辿る可能性を、これまでは性癖のような愚鈍な私的ギミック、仕掛けであると頷く態度で呑気に許したけれども、今回「加筆しない」画面検証の意味合いを含んだ平面性への関心が高まったのは、尺度に縋るだけだったことが因であるともいえる気がするが、まだわからない。
 いずれにしろ個的曲折の屈託線上で行きつ戻りつを繰り返して唐突な気づきへ折衝し都度心を決めるしかないが、せいぜい伸びやかに。