トニー滝谷(村上春樹原作)/市川準(1948~)が早々とレンタルされていたので観る。キャスティングも脚本もなにもかもがしっくりこない。車のボンネットのショットのみが残っただけ。坂本龍一の音楽もとってつけたような気がした。この監督は何をしたいのかわからない。だが、この作品によって明らかになったことがあった。
最近長いこと、静止画像(写真)と映像(動画)の差異について考えていたが、違いをどうこう認識して、あるいはまたその性格を交錯させてなどということをやめることにした。静止画(イコン)をそのまま引き受けてみる。あるいはまた、静止画から決別するように映像(時間)をと。簡単なことではあるけれども、いずれも大きさがその配慮を支える。
映画は映像そのものではないのと似て、静止画(写真)も、それ自体であることは稀だから、絵の目的や意味などを取り払った写真自体という存在を具体化するために、water desk計画を拡大(縮小でもいい)。
ーwater deskの暗喩でもある、恣意の鏡(思惟する個体が左右逆転して映る=ナルシスへの疑い)を割って、その向こう側(果て)の存在へ触れる感触が、事前に計画されていること。音は、そういった感触として用意される。ー
口実、プレテクストをいかに狡猾に準備するか。久しぶりに色彩を使ったエスキスを行う。これも、気候、天候の影響か。
The Interpreter /Sydney Pollack(1934~)のSketches of Frank Gehryが観たいと思っていたところだったが、最近成熟している筈の監督に裏切られていたせいか、The Interpreterの落ち着いた(リアルな)描写に安心するのだった。ラストが印象的でよい。まあ、役者が揃っているせいでもあるな。
ハルボウがずっと狙っていたBelleville Rendez Vous(2002)がようやく貸し出し可能となり、夕方から一緒に観る。タイトで固有なアニメーションもよかったが、繊細なサウンドトラック(音響)が秀逸。