猟人日記」(2003)という邦題に呆れたが、キャメラは、とてもよく考えられていて素晴らしい。これほど、感情移入の出来ない、いわば他者性を、にじり寄って提示されると、覗き見の無責任が膨れて、まあ、それもよい。フィルムはもともとこういった種類のモノかもしれぬ。個人的には懐かしいDavid Byrneの音響が抑制された映像と照応して印象的。バロウズと時代を並走したAlexander Trocchi(原作)のおそらくもっと放り投げたような描写を読んでみようとは思わないが、このDavid Mackenzie(監督1966~)のコンテクストを辿るのは、今の私にとって面白い。Young ADAM
中野の古本屋で、仕事に使えるかなと、「時の本」を購入。サブタイトルにはー「時間」とはなにか。絶対という思想を超えた「時間」という神々の領域の考察ーとあって、失笑する。寝転びながら、忘却を呼び込む為のツールにはなるか。絶対という思想って一体何?
堀江敏幸「雪沼とその周辺」は、あっさり読めたが、後半は、苛立のようなものがふつふつと浮かんだ。断片を終了させるその切断の仕方が突出する。だが、まだこれは浅薄な判断。エルヴェ・ギベール「幻のイマージュ」の翻訳をしているのだと、書棚のものを取り出し、ほうと少々驚きながら確認する。amazonで、「熊の敷石 」を注文。休日を利用して散歩がてら、書店にて「おぱらばん」を購入しよう。
最近、様々な事(TV,会話、街)がひどく五月蝿く感じる。喧しい。ここ数ヶ月の机上の仕事のせいで、撮影を実現出来ない事がこの理由と勝手に解釈。あと一踏ん張りして列車に飛び乗る。最初は山形か。秋田でもよいか。


港千尋が装丁を担当していることが頷ける、「おぱらばん / auparavant」¥1900は、「雪沼〜」より、こちらにとっては、数段よい。幾つかの記憶の形状が柔らかく重なることもあり、隙のない描写も疲れることがなく、ベットに横になり半分ほど読む。結局、言葉の洗練は、他の言語との格闘で、自らを浄化するしかないのかもしれない。
書店からの帰り道、夏祭りの商店街の活気が重く感じられたのが作用したか、つまらぬB級だが、300円のVHS「Trans」を発作的に購入。デッキに入れて冒頭を流し、中断する。呑気な気分で、どこかの温泉宿などで、漠然と眺めるべきだな。